富野由悠季総監督 インタビュー(後編)


題名:恋人たちが生かされている世界を観る物語

10 月 29 日公開の劇場版『機動戦士ZガンダムU - 恋人たち - 』。第1部と違う個人と個人や、組織と人が絡みあう構成となっているその秘密とは?そして、戦争ものとして既存の映画とは何が違うのだろうか? 第2部に関して少々つっこんだ視点から富野由悠季総監督にその意図をうかがい、さらに第3部に向けて劇場Z全体像完成への意気込みをうかがった。

● 20 年の時間で膨らんだ

 記憶に寄りそうような映像表現

――第2部では、それぞれ組織のバックにいる大物や議会工作など、政治的なものも描かれるようになりますね。

富野 それは、物語の足場になる背景をきちんと見せるためです。もちろん第1部の冒頭で状況説明をしてから物語に入っていくこともできますが、僕の作劇論では、状況説明、物語の世界観を紹介するためには、「恋人たち」で説明しているぐらいの位置でちょうど良いと思ってます。テレビ版では3回くらいに分けてやっていたことを第2部で消化し、あとは一気呵成に第3部に突入していく構造をとるつもりでいます。

 ただし、作品的には少しリズムが外れてゆったりしたとも思っています。技術的には、ああいうブロックこそ旧作の汚い絵を使わず全部新作にするべきだったかという反省もあります。しかし、第3部まで射程にいれてのことですし、テレビ版の貧相な感じもなるべく消すべく努力しましたので、劇場の大画面やDVDで何度ご覧になっても飽きない映像になっていると自負しています。

――確かに同じことを描いているのに、決して貧相な感じはしませんね。

富野 その差が一番わかりやすく出た例を挙げると、宇宙船が出ているシーンがほとんど新作で、明らかににぎやかになっているというのに気づかれましたか? テレビ版のときにはできなかったことですが、宇宙船のシーンはモビルスーツが側にいるようにして、たくさん人も出すようにしました。このにぎやかさは、映画として絶対楽しいものですから、その点は気をつけました。アニメーターたちもよくわかってくれたので、楽しんで描いてくれた気分も出ていると思います。宇宙船とモビルスーツの大きさの対比という説明も兼ねていますし、映像的にも人間くさく見えるはずです。

―― 20 年の時間の中で、記憶が膨らませているものに近づけているということですか?

富野 まったくその通りです。この「記憶にすり寄る」ということを、リメイクものでやっている例が少ないと思います。おそらく「昔のものが好きならそのままでいいだろう」と思っているのが理由ではないでしょうか。

 しかし、人間の記憶は逆に好きなものであればあるほど、良い方に潤色しているはずです。ですから、骨格は変えずに飾りつけを豊かにしてやるということをしましたが、これは言うほど簡単なことではありませんでした。記憶に沿ってあげることは本能的に意識するしかなくて、しかも懐古趣味に陥らせない努力を全編にわたってしているからです。

 第2部まで通して観てつくづく思ったこととしては、エイジングと呼ばれる画面の揺れやゴミ取りなどテクニカル的な加工作業のもつ意味の大きさです。古い映画を大きな画面にかけているのに、汚れを修正するだけで記憶に沿ってあげられて、普通にしか感じられないように見せられたということを痛感します。記憶のなかにはゴミは入っていませんからね(笑)。目につかないところなのに、ゴミ取りや色ミスを地道に修正してくださっているスタッフの力には感謝しています。

●組織と個人の関係性、

 戦争の実相へと迫った劇構成

――今回は、ジャミトフとバスク・オムの軋轢など、派閥の中にも攻防が際立ってきていますね。

富野 実写も含めて映画という世界では、「組織と個人の関係性」を描くことがかなりヘタだと思っています。通俗的な映画、ましてやロボットもので、そうした部分に興味をもっている人も少ないと思います。ですから、『Z』にそれが際立って見えただけのことだと思います。

 一般に戦争映画と呼ばれるジャンルでも、戦争をおこす人と戦場に出ていかないといけない人の関係性というものを、上手に描いている作品は決して多くはないでしょう。戦争ものなら戦場の話になってしまうし、組織論になるとどうしても反戦映画になってしまいます。娯楽としての戦争もののルックスと構造をもっている作品がどれだけあるかというと、怪しいものです。

 反戦映画にしても、わけもわからず戦場に引き出されて死ぬほど恐い思いをした人が死んでいく……だからこういう戦争は起こしてはいけないんだという論調のものしかありません。そこにはなぜ戦争を起こすのかとか、なぜ遂行しなければならないかという視点が抜けています。戦争映画に登場する政治家や指導者たちは極めてステレオタイプで、戦争の原因についてまで踏みこむ劇構成をもった映画が少ないと思います。

 特に今の 30 〜 40 歳の世代は、戦争に対して古典的な認識しかもってない人たちが大半で、戦争の成因と結果をあまりにも知らない人たちばかりです。組織と人間、戦争に行かされてしまう人々と社会の関係性を客観的に語れる作家は、そういないのではないでしょうか。

――そうした視座が、第2部の戦争と指導者の描き方に出ているわけですね。

富野 今回、『Z』を改めて手がけてはっきり意識したことがあります。これまで人類は戦争を外交の手段として使ってきましたが、戦争の本当の意味での成因と結果をクールに論評する、そして 21 世紀の時代にどう戦争を阻止しなければいけないかということを政治学と経済学両方の視点から語り、実践する……そうした人が出現して欲しいということです。これが『Z』をまとめていく上でひとつの目的になり始めていることは事実です。

 ですから、地球連邦軍の組織の内部から突出してきたティターンズとか、ハマーンやシロッコという、現在でいうとたとえばアフリカ、南米かもしれない、さらに違う敵の存在かもしれないようなものも、戦争論を語るための糸口にしていただけたらいいなと思っています。

 これから 10 年 20 年経って『Z』を観た方で政治家になる人がいたら、ぜひ『Z』を思い出してほしい、そういう作品にしています。でも、あくまで娯楽と芸能の中でのことで、意見映画やメッセージ映画にしようとはまったく思っていません。

 僕は、映画のなかでの長い演説が得意な監督だと思われてるかもしれませんが(笑)、それは誤解です。むしろアニメで演説をしたものが少ないから、説明として入れてきただけのことです。構造のなかに確信的に世界観が封じこめられていれば、演説で説明する必要はありませんし、実際に今回はいっさい入れていません。

●第2部、第3部と

 拡大していく劇場版『Zガンダム』

――では、これからご覧になられる方へ、第2部で注目して欲しい点などをお願いします。

富野 「恋人たち」とサブタイトルがついていますが、実は恋人たちの物語ではありません。「恋人たちが生かされている世界を観る物語」になっています。映像で語っていく物語ですから、単純な恋愛ものではない構造というものを見せているつもりです。

 世界を見晴らす物語になってるというのは『Z』ならではのすごさです。いまガンダム人気が再燃しているもとになった作品だということを、あらためて感じました。

 「恋人たち」という言葉だけを聞くと、若い方なら自分たちの世界だと思われるかもしれません。ですが、もしご自分が恋人の一方になったときに、ぜひ気づいていただきたいことがあります。それは、あなたの出会った彼女・彼氏の背後には、あなたの知らないもうひとつの世界があるということです。それを見通して欲しいと語りかけているのが、『Z』の物語の本質かもしれません。

 恋人たる人に出会えたということは、その人だけをターゲットにすることではありません。その大事な人を生んだ両親や家族、さらにコミュニティがあるということ……それを受け止め、受け入れるということなのです。なぜ結婚式をあれだけ大げさにやるかというと、違うコミュニティの知らない同士が握手するためなのです。それをみんな忘れすぎていないかと、つくづく感じています。そういう身近な関連にも、気づいて欲しいです。

――さらに続いていく第3部への意気込みも語っていただけますか?

富野 宇宙で本格的に戦争が始まる……そんな予感で第2部は終わります。しかし、単なる二者対立の戦闘ものではありません。いろんな勢力圏に散らばっている人たちが、一点に集中していくなかで、敵味方論、ニュータイプ論も含めて大きく展開していきます。テレビ版のときは、カミーユが神経衰弱的に収斂していって自己閉塞に陥っていくようなかたちを取りましたが、今回はそうではありません。人と人、人と組織の関係性が一気に集中していく……そのなだれ込み方が、まさにジェットコースター的で、絶対に目が離せないものになります。だからといってバタバタしてる映画かというと、そんなこともありません。意外とのどかなシーンも多いのに、なぜこう進んでいくのだろうと不思議な感じがするはずです。

 あらためて映画ってすごいものだと思います。これはもう、「乞うご期待!」です(笑)。

【 2005 年9月 13 日 サンライズ第7スタジオにて/インタビュー構成:氷川竜介】



 

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